自転車に乗って出かけよう
ちょっとまじめにいじめのことなど
2006年11月06日 (月) | 編集 |
この前夜中に朝まで〜とかいう番組がやっていた。

他の国が核を持ったから日本も持つのだとか、軍備増強だとか。

そもそも大人がすぐそういう考え方をするところに、
いじめの根幹が有るんじゃないの?

なんで止めるスタンスを取る人がいないのかなと思う。

非核三原則はすばらしいポリシーだよ。
人として戦争はしないって、永久に誓ったんだから。

そんなことって言うかもしれないけど、
逆にもし戦争になったとして、子供に向かって引き金を引けますか?
引けませんよね。
答えは明白です。

当たり前のことを当たり前にするのが一番難しいけど、
それをするのが人の道だよね。

いじめのニュースも毎日あるよね。

今日はいじめ根絶に総決起、小中高校生ら「会議」開くっていうニュースもあった。

その決起集会でのアピールは、「いじめをしている人へ」として
「人の心はおもちゃじゃない。いじめからは何も生まれないことに気づいて」と訴え、
いじめられている人には
「決してひとりじゃない。命を捨てないで。生き抜くことこそ勇気なんだ」と呼びかけた。ってありました。

でもね、いじめられている人はいじめている人(人達)にやめてって言う、
そのあとちょっとの一歩が踏み出せないんだよ。

だから必要なのは、止めに入ってくれる人だとEzは思うのです。

止めなよって言うんじゃなくてもいいと思うんだよね、
もうそのくらいにしておきなよとか、色々ある。

また今の世間では止めに入るのを良しとはされていないみたいだよね。

自分とは関係ないから。言った後が怖いとか。
一人だけいい子になってとか。

Ezは中学校の頃、ちょっと不良ぽい子とも仲が良かったし、
普通の子やちょっといじめられ(からかわれ)ちゃうタイプの子とも仲が良かったから、
からかうのがエスカレートしてくると止めていたんだよ。

人の心にはダークサイドもあるから、いじめたい欲求は誰にでもあると思うけど、
特に子供の頃は自分では止まらなくなっちゃうときもあるんだよね。
さりげなく初期で止めてくれる誰かがいれば、
深刻な事態までは行かないように思える。

だから子供個人の個性を伸ばすことだけじゃなくってさ、
普通でもいいから人の事も考えられるような心の余裕を持っている子供を育てる。

そういう心の教育をして行こうよ!とEzは思うのです。